
今日は何もしないぞ!頑張らないぞ!と決めました。みかんです。
娘には申し訳ないけれど、今日は公園にも行かない!部屋でぬくぬく過ごすぞう!
金曜日はついつい自分に甘くなっちゃいますね。
ユダヤと日本の話の続きです。
『秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説』(坂東誠)から、今回はユダヤと日本の共通点についてご紹介します。
本当に!?とびっくりするくらい共通点が多いんですよ。。
前編はこちら↓
日本を作ったのはユダヤ人だった?失われたアークは日本に?!ユダヤと日本の共通点にワクワクが止まらない一冊をご紹介します。(1)〜ユダヤ人の歴史〜
「虎の巻」日本には虎がいないのになぜ虎?〜言葉〜
ユダヤの言葉が日本語に変化したものが沢山あるとこの本には書いてあります。
- 「虎の巻」は「トラー(モーセ五書)」
- 「鳥居」は「トリイ(アラム語で入口)」
- 「高天原」は「タガーマ・ハラン(ユダヤ人の始祖であるアブラハムの出身地)」
- 「祇園」は「シオン(ダビデ王の墓などがある「シオンの丘」)」
- 「エイン・ヤー・ラヤー(祇園祭で山鉾を引く掛け声)はヘブライ語で「その神の他に神はいない」
- 「エルサレム」をヘブライ語の発音では「イェルシャライム」
これは、京や都を意味する「イール」と平安を意味する「シャローム」が1つになって出来た言葉。
つまり、「エルサレム」は「平安京」を意味する - 「八坂」はヘブライ語で「神の小屋」
- 長野県の諏訪大社の御神体「守屋山」と、エルサレムの「モリヤ山」
この諏訪大社で行われる「御頭祭」のストーリーが、タナフのなかの「イサクの燔祭」の話とそっくり。
伊勢神宮にダビデの星?!日本の神社とイスラエルの「会見の幕屋」
伊勢神宮の灯篭
日本人の心ともいうべき伊勢神宮。
この内宮から下宮に至る参道の灯篭に、菊の御紋とダビデの星が刻まれているのです。
この灯篭はそれほど古いものでなく、兵庫にある石材会社が製作したものだそうです。
しかも製作を依頼したのは当時の神宮長官。
なぜ神宮長官がダビデの星を彫るように依頼したのかは分かっていません。
手水舎
神社に行くと、手水舎がありますね。
古代イスラエルにおいても、「会見の幕屋」という礼拝所に入る前に祭壇のそばにある洗盤の水で手足を洗うことが義務付けられていました。
鳥居
古代ユダヤの神殿の入り口にも二本の柱が立っていました。
ヘブライの方言であるアラム語では、「入口」のことを「トリイ」と言います。
また、出エジプトの時の「過ぎ越しの夜」に、イスラエル人が家の入り口に子羊の血で描いた形と似ているともいえます。
賽銭箱
歴代志下二四には、ユダヤ教の神殿には献金箱があり、高官も民も喜んで税を持ってきて、あふれるまで箱に投げ入れた、と記載されています。
まさに日本の賽銭箱と似ています。
構造
古代イスラエルの神殿は、「聖所」と「至聖所」に分かれていたといいます。
手前が「聖所」、奥が最も神聖な「至聖所」です。
聖所には祭司だけが入ることができ、一般の人は入れません。
また、至聖所も大祭司が年に一度の大贖罪日のみ入ることが許されていたといいます。
日本の神社には、手間に「拝殿」、奥に「本殿」があります。
拝殿の中には普通神主だけが入り、一般の人は入れません。
本殿には特別の時にだけ神主が入ります。
また、ソロモン王が建造した神殿では、奥の「至聖所」が少し高い位置にありました。
同様に、日本の神社でも手前の「拝殿」より奥の「本殿」の方が少し高い位置に造られています。
狛犬
なぜライオンがいない日本の神社に狛犬(見た目はまるでライオン)が置かれているのか。
タナフには、神殿に関して、「神殿の玉座の脇には二頭の獅子が立っていた」という記述があります。
祭司の白装束
古代イスラエルにおいても、現代のユダヤ教においても、神聖な場所や行事においては真っ白い服を着る習慣があります。
祭司は皆白装束を着ていたという記録が残っているそうです。
この古代イスラエルの祭司服が、神道の神官の服と酷似しているとユダヤ人の研究家も指摘しています。
白い亜麻布の服、前に垂らしている布、袴、胸の前につけている特別な布。
神主の服の袖から垂れている房も、古代イスラエル人の習慣だったそうです。
しかもこの習慣は、神がモーセに言われた言葉として、タナフに記載されています。
清めの塩
ユダヤの習慣に、「神に捧げるものには塩を添えて捧げる」というものがあります。
アビメレクは、その日一日中、その町と戦い、これを制圧し、町にいた民を殺し、町を破壊し、塩をまいた。
士師記九・四五
これはタナフの一節です。
塩をまくことによって、戦争の流血などを清める意味があるといいます。
これは、盛り塩を入り口に盛って店や家を清めたり、お葬式で塩を配る日本の習慣と似ています。
偶像崇拝
ユダヤの最も重要な掟の「十戒」の二番目の掟に、「あなたは刻んだ像を作って神としてはならない」とあります。
これがいわゆる偶像崇拝の禁止です。破るとユダヤ教では厳しく罰せられます。
ユダヤ教のように表立ってだめ!と言われているわけではないのに、日本の神社も偶像崇拝をしていません。
仏教は偶像礼拝を行うので、お寺には仏像や観音様が数多く祀られていますが、神社にはそれがないんです。
当たり前のように、神社には偶像がありません。
このように、神社だけでも古代イスラエルの神殿との共通点が数多くあります。
また、日本の神話にもユダヤと酷似する箇所が多々あります。
神々のエピソードや出自がほぼ同じだったりしますが、神話もめちゃくちゃ長いので、ここでは割愛させていただきます。
例えば、、、
- 「イザナギ」と「イザナミ」はユダヤ式で結婚
- 「タナフ」と『古事記』『日本書紀』は似ている
- 神武天皇とアブラハムの共通点
- 崇神天皇・垂仁天皇とダビデ・ソロモン王の類似
などなど。
興味のある方は、ぜひ「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」を読んでください!
失われた「契約の箱(アーク)」は神輿のモデル?
「契約の箱(アーク)」と聞いて、何を思い浮かべられますか?
私はインディ・ジョーンズ「レイダース 失われたアーク」ですね。
1作目で追い求めるのがこの「契約の箱(アーク)」でした。
この映画の中では、「契約の箱(アーク)」はエジプトにありました。
が!!!
実はこの「契約の箱(アーク)」が日本に持ち込まれていた、という伝説もあるんです。
タナフには、「契約の箱(アーク)」が日本の神輿と同じようなサイズだったことが記載されています。(長さ百三十センチ×幅八十センチ×高さ八十センチ)
箱の下の四隅には輪が付いていて、そこに二本の棒を通し、担ぐといいます。
さらに、箱の上には翼を広げた「ケルビム」という天使が付いていたようです。日本の神輿にも、鳥の鳳凰が付いているものがあります。

イスラエルの民は、この「契約の箱(アーク)」を先頭に行列を作り、歓声をあげながらラッパやシンバルなどを鳴らしながら前進したとタナフに書かれています。
まさに日本のお祭りみたいではないでしょうか。
ちなみに、神輿はいつから?という疑問です。
「続日本紀」に初めて神輿に関する記述が出てきます。
それは、奈良の東大寺に大仏が造営され、その大仏の開眼の時です。九州の宇佐八幡から神輿がやっていて、大仏の開眼を祝福したという記述でした。
ここで、出てくる宇佐八幡!キーポイントになります。
宇佐八幡は、秦氏の拠点があった場所です。宇佐八幡の神職であった辛嶋氏は、秦氏です。
そしてこの秦氏の正体が、ユダヤ系の渡来人だったのではないか、と著者の坂東誠先生は述べています。
この「秦氏」ワクワクが止まらないですね。
沢山書きたいことがあるので、こちらはまた改めて。
日本に残るユダヤの伝説〜徳島が日本建国の地?〜
徳島県の剣山には、ソロモン王の秘宝が埋蔵されているという伝説があります。
祇園祭の山鉾巡礼と同じ日である7月17日に不思議な祭りが行われます。
それは、1955メートルある剣山の山頂を目指して神輿が運ばれるというものです。
著者は、国を滅ぼされて新天地を求め、海の道を経て四国に辿り着いたユダヤ人たちが、ノアの方舟の故事を記念し、「契約の箱」を剣山に担いで登り、ソロモンの秘宝とともに山頂に埋めたということだろうか、と述べています。
また、剣山の周辺には200基づい状の古墳が集中していて、最古の前方後円墳と言われる萩原墳丘墓もこの阿波地方にあります。
一説では、前方後円墳の形は、イスラエルの三種の神器の1つ、「マナの壺」ではないかともされているそうです。
ほおおおおおお!ここで前方後円墳の形がマナの壺!!!!
と私が興奮した箇所でもあります。あの不思議な形…たまりませんね。
イスラエル元駐日大使のエリ・コーヘンという方が、徳島を視察されて驚いた点がいくつかあるそうです。
それが、剣山の側にある白人神社とも呼ばれる磐境神明神社です。
普通神社といえば、木造建築を想像すると思います。
しかしここは、すべてが石造りの古代遺跡なのです。
これが、古代イスラエルの礼拝所とそっくりだったそうです。
さらに、磐境から礼拝する方を見ると、目の前に山がそびえ立っています。
これもユダヤの伝統的な礼拝所と同じだそうです。
徳島には他にも古代ユダヤとの繋がりを感じさせる場所があります。
東祖谷という山村の中腹に、栗枝渡という八幡宮があります。
この神社の案内板には、「安徳天皇を仮装した場所」とあります。
日本史的には、安徳天皇は壇ノ浦で入水して亡くなられたことになっていますが、この地域の言い伝えでは、安徳天皇は屋島の合戦の後にこの地に落ち延び、余生を過ごしたというのです。
栗枝渡八幡宮には神社特有の鳥居はなく、正面の瓦紋には菊の御紋が使われていますこれは皇室の家紋であり古代ユダヤ王国のマークです。
実はこの「栗枝渡八幡宮」は現在は「くりしと」と呼びますが、かつては「栗須戸神社(くりすと)」と呼ばれていたそうです。
「クリスト」はギリシャ語のキリスト、すなわち救世主を意味します。ユダヤ人が数千年来到来するのを待ち続けている存在です。
安徳天皇がこの東祖谷に逃れ1186年に崩御され、この八幡宮に祀られたので本来は栗須戸神社だった名前を栗枝渡神社と改名。
つまり、千年以上前には、徳島に「クリスト神社」、「救い主神社」と呼ばれる神社があったということなのです。
徳島が日本建国の地ではないか、という説もあるそうです。
- 徳島には「天の岩戸」などの日本神話の舞台も存在する
- イザナミを祀る神社は唯一徳島の美馬市にしかない
- 奈良県と同じ地名が阿波徳島に多く存在する(吉野川、天香具山など)
つまり、四国に渡来したユダヤ人が、日本建国の事業に参画したのではないかと著者は考えています。
古代イスラエル人がアッシリアの占領により捕らえられ、その後姿を消したのが、紀元前722年。
今から約2738年前。
日本の建国が今から約2676年前の紀元前660年。
イスラエルからの移動時間や、徳島から橿原への東征の時間を考えると時間的にも合いそうです。
日本には徳島の他にも、青森県の旧戸来村にあるキリストの墓や、鳥取県のモーセの墓など様々な伝説があります。
このお墓に実際にあの有名なキリスト、モーセが埋葬されていることは考えられませんが、同じ名前を持つユダヤ人が埋葬されている可能性はあると著者は述べています。
ユダヤ人の中には、「キリスト」「モーセ」という名前の人がたくさんいるそうなのです。
なんとまぁロマン溢れる話でしょうか。
真実はタイムマシーンが出来ない限りわからないかもしれませんが、もしかしたら剣山から契約の箱が発見される日が来るかもしれません。
できれば私が生きている間にそんなことがあれば最高ですね。
この本の紹介、ユダヤ人の歴史については(1)をぜひ読んでみてください♩
日本を作ったのはユダヤ人だった?失われたアークは日本に?!ユダヤと日本の共通点にワクワクが止まらない一冊をご紹介します。(1)〜ユダヤ人の歴史〜
続きもあります!ユダヤ人の歴史(3)↓
日本を作ったのはユダヤ人だった?失われたアークは日本に?!ユダヤと日本の共通点にワクワクが止まらない一冊をご紹介します。(3)〜謎に満ちた秦氏とは〜
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