「82年生まれ、キム・ジヨン」ネタバレ・あらすじ。韓国で話題騒然となったフェミニズム小説。最後の精神科医の一言の意味は?

読書録
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82年生まれ、キム・ジヨン

おはようございます、台風のせいか頭が痛い・・・何にもやる気が起きないよみかんです。

腹痛と頭痛ってもう耐えられません。
すぐ薬飲んじゃう。


本日は、5年以上前に大ベストセラーになった「82年生まれ、キム・ジヨン」のご紹介です。

特徴的なこの表紙を書店で見かけたことがある人もいるのでは。

私もよく横目で見てはいましたが、韓国の小説?と手を取らずにここまできまして。

たまたま図書館にあったので読んでみると、こんな本だったのかと。

女性は少なからず共感するポイントがあるはずです。



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ざっくりあらすじ(ネタバレ無)


82年生まれのキム・ジヨン氏は33歳。
3つ年上のチョン・デヒョン氏と結婚して一人の女の子にも恵まれた。
以前は広告代理店で働いていたが、妊娠を機に仕事を辞めて専業主婦をしていた。

ある時からキム・ジヨン氏の様子がおかしいとチョン・デヒョン氏は気づく。
ぼーっとしているかと思うと、死んだ大学の同級生になりきったり、義母(チョン・デヒョン氏の母)になりきったような口調になる。

産後うつも経験していたので、育児ノイローゼかと精神科を受診することを提案する。


その後はキム・ジヨン氏の半生を振り返る。

その中で見えてくる韓国における女性の生きづらさ。

最後の担当の精神科の言葉に絶句すること間違いなし。



ネタバレ有あらすじ


33歳のキム・ジヨン氏は心なしかぼーっとすることが増え、ふとしたときに死んだ先輩や自分の母親になりきるというおかしな様子を見せるようになる。

夫のチョン・デヒョン氏は精神科医に相談し、受診することに。

それ以降はキム・ジヨン氏から精神科医に語られる彼女の半生の振り返りである。


1982年~1994年


キム・ジヨンは3人兄弟の真ん中で、姉と弟がいた。

父方の祖母と同居していたが、この祖母が「男の子を生んだからこそ今温かい部屋で暮らせている」と普通に言ってしまうような人だった。

母は、姉とキム・ジヨンを産んだ時祖母に謝ったらしい。

弟の前に三女を妊娠したが、堕胎していた。
そして授かった息子を祖母は何かとひいきしていた。

しかし、それは生まれてからずっとだったので、ずるいとも思わない当たり前の風景だった。

忙しく働く両親に代わって家事や弟の世話をするのは姉妹だった。



1995年~2000年


1,990年代になっても韓国は深刻な男女出生比のアンバランスを抱えていた。

学校生活でも少なからず男女間の不均衡を感じていたが、それは当たり前のことだった。

男子はスニーカーが許されていたが、女子は革靴しかだめで服装に関して厳しい校則が多かった。

男性教師からセクハラをされる女子生徒も多かった。

不良少女が有名な露出狂を捕まえても、学校からは「女子生徒がそんなことをして」と謹慎処分になるなどした。

キム・ジヨン氏も一度塾の帰りに同じ塾の男子生徒からつけ狙われて怖い思いをしたことがあった。


2001年~2011年


大学生になり、彼氏もできるなど新しい経験も多くした。

3年生の冬休みになると、就職活動が本格的に始まった。
キム・ジヨン氏が就職した2005年、ある就職情報サイトでの調査の結果、女性の採用率は29.6%だった。

たったそれだけなのに、世間では女性に追い風と言われていた。

首席だった優秀な女性の先輩が、男子生徒ばかりが推薦を秘密裏にもらうことに抗議したが、「女があんまり賢いと会社で持て余すんですよ。今だってあなたがどれだけ私たちを困らせているか」と言われたという。

タクシーの運転手には「最初の客は女はとらないんだが、就職活動中みたいだったから乗せてやったんだよ」と言われたり、就活の面接ではセクハラまがいのことを聞かれたり、そんな日常だった

何十社と書類で落とされたが、ついに卒業間際に広告代理店に就職が決まる。

職場では一番年下で全員分のお茶を用意したりしていたが、キム・ウンシル課長(女性で一人の子持)からしなくていいと言われてやめた。

キム・ウンシル課長は、女はだめだと言われないように、会食は最後まで残り、残業や出張も進んでし、出産後も一か月で現場に戻ったが、今になって思えばそれは後輩たちのためになっていなかったと申し訳ないと思っていた。

管理職になって、不要な行事をなくし、権利を保障し女性が働きやすい会社にすべく尽力していた。

仕事は大変だったし、給料も見合うだけはもらえなかったが、人には恵まれ楽しく働けていた。
同期の男女で賃金に差があったとしったときは驚いたけれど。

韓国はOECD加盟国の中で男女の賃金格差が最も大きい国だった。
ガラスの天井指数も調査国の中で最下位を記録し、最も女性が働きにくい国となった。


キム・ジヨン氏は結婚し、妊娠した。
おなかが大きくなっても満員の電車で通勤していたある日、大学生の女の子から「そんな腹になってまで地下鉄に乗って働く人がなんで子どもなんか産むのさ」と言われてしまう。
涙が止まらなかった。

キム・ジヨン氏とチョン・デヒョン氏は生まれてからのことを何度も話し合った。
保育園に入れる、ベビーシッターを雇う、いつまで雇うのか。
結局一人が仕事を辞め、家で子供を育てるという結論に至った。

職場の安定性や給料もあったが、何よりも夫が働き妻が家で子育てをするのが一般的だったからだった。

キム・ジヨン氏が仕事を辞めた2014年、韓国の既婚女性のうち5人に一人が結婚・出産・育児のために職場を離れた。


娘が生まれ、あわただしい日々を送っていたある日、スーパーのアイスクリーム店でアルバイトの貼り紙を見つける。

小さい子供をもつ母親にはぴったりの時間帯だった。
店員にちょっと話を聞いてみると、その人も小さい子供がいるという。
「私も大学を出ているんですよ」その人は最後にそう言った。

その一言がずっとキム・ジヨン氏の頭に残っていた。

仕事から帰ったチョン・デヒョン氏に意見を聞いてみると、「やりたい仕事なの?」と聞き返される。

自分のやりたいことを就職活動ぶりに考え直した。

記者になりたかった。
フリーランスでも働けるかもしれない。
しかし、勉強するための学校は夜間しかやっておらず、仕事を始めるための授業を受けるのにベビーシッターを雇わないといけないという状況だった。

無気力に苛まれ、あのアイスクリーム店に行くと、新しいアルバイトの人がすでに働いていた。


ある秋の日、娘をベビーカーに乗せ、久しぶりに外でコーヒーを一杯買ってベンチで飲んでいた。

その姿を見た30代のサラリーマンたちが、自分のことを「ママ虫」(害虫のような母親というネットスラング)と揶揄しているのを聞いてしまう。

キム・ジヨン氏は別人になった。



2016年


(精神科医の言葉)

キム・ジヨン氏の話を聞いていくうちに、解離性障害かと思ったが、典型的な産後うつに引き続いて育児うつを引き起こした事例だと思われた。

しかしその判断は時期尚早のようだ。
私が普通の40代の男性だったらその判断だったろうが、私は自分より勉強ができ、高い意欲を持つ眼科専門医だった妻が教授になることを諦め、結局仕事を辞めていく過程を見ながら、韓国で子供を持つ女性として、生きるとはどのようなことかを知っていた。

ベビーシッターなどを利用しながらなんとか仕事を続けていたが、小学校に入った息子が友達の手に鉛筆を刺した。

担任はADHDではないかといい、私がいくら違うといっても妻は聞き入れなかった。

「一日に10分もあの事一緒にいないあなたに何が分かるの?」

担任は低学年の間だけでもお母さんがそばにいてあげてくださいと勧め、妻は仕事を休んだ。
しかししばらくしても事態が好転しそうになかったので、仕事を辞めた。

その年、数学コンクール荒らしで秀才だった妻が食学生の算数の問題集をどっさりやっているのに気づく。こんなつまらないものをと思ったが、「今の私にとって思い通りになるのはあれしかないんだもの」と今も解いている。

妻には絶対やりたくてやるという仕事をしてほしい。キム・ジヨン氏にもそうあってほしい。

カウンセラーのイ・スヨン先生が入ってきて挨拶をした。今日が彼女の最終出勤日だった。
彼女は産婦人科医に安静にしているように言われ、いったん仕事を辞めることにした。
最初は1,2か月休めばすむ話なのに、と思ったが、考えてみればそのあともたびたび休むことになるのだから、辞めてもらってうまくいったと考えた方がいいだろう。

後任には未婚の人を探さなくては。。






「82年生まれ、キム・ジヨン」の面白いところ


ただの平凡な一人の女性の半生を振り返ることで、韓国での女性の生きづらさを如実に描き出している点です。

私からすると、めちゃくちゃ腹立たしいことが盛りだくさんでしたが、もしかしたら男性が読んでもそう感じないのかも?
そう思ったところも背筋が寒くなりました。

最後の精神科医の章が一段と怖いですね。

妻も子育てで仕事を辞めたから、女性としての生きづらさを知っている~というところまでは、「そうなんや、いい先生やな」と感じたのですが、そのあと!

妻が算数の問題集を解いているのも、もっと面白いやりたいことをやってほしいとかいっているところ!
カウンセラーのイ・スンヨ先生の後任は未婚がいいとか言っているところ!!

サイコパスか!

意識の違いは根深いなあとうすら寒くなりました。。

根っこにある女性への理解のなさ。

こんな先生の所じゃ、キム・ジヨン氏も軽快には至らないのでは、と心配になります。


また、面白いのが、この本では女性のみに名前が与えられている、という点です。

男性で名前が出ているのは旦那さんのチョン・デヒョン氏だけですね。

あとは弟でさえも名前がありません。

面白い書き方だなぁと思いました。

これは、韓国では女性は結婚すると名前を失い、「〇〇さんの母」という呼ばれ方をするのに対する強い意志を感じます。
女性だって結婚しても子供産んでも一人の人間である、ということを当然のことながら強調しています。

男性の名前が与えられていないのは、強力なミラーリングですね。


小言


いかがでしたでしょうか。

日本でも同じような経験をしたことがある人は多いのではないかと思います。

「結婚、出産して失うものが多いのは圧倒的に女」

これは本当にそう思います。

妊娠中のつわりの辛さ、不安や心配、体型が大きく変わること、命を懸ける出産の大変さ。
24時間の子育て。生活リズムの大きな変化。

これは男性にはわかりたくても分かってもらえません。

当事者にしかわからないと思います。

女性だからと言って一概にわかるわけでもなく、つわりが重かった人、そうでもなかった人もいるだろうし、寝る子供や全く寝ない子供と、その人にしか分からないことばかりです。

それをとやかく外野がいうのはおかしい。

私は生憎そんな無神経な人は周りにいませんでしたが、つわりがめちゃくちゃきつくて死にそうだったことを女性の管理職の人に話したときに、「私は全然つわりなかったけどそんなにきついんだ」と言われ、同じ女性だからといってなんでも共有できるわけじゃないんだな、と実感したことがあります。

一番驚いたのは、最近まで(私の親世代まで)男の子を生むことが韓国でそんなに重要なことだったということです。

キム・ジヨン氏の母親が長女、次女出産時に義母に謝っていたこと。
三女を堕胎したことは衝撃でした。

家庭の資源も優先的に男子に割り当てられていく。

日本でもそうだったのでしょうか?

私が知らないだけ?




もう一つ衝撃だったのが、この本を読んだと話した韓国のアイドルが炎上したということでした。

その人のファンが、「幻滅した」といってグッズなどを燃やしたりする様子をSNS上に挙げたというのです。

そのアイドルのコメント欄も批判や中傷のコメントが絶えなかったそうです。

自分が読んだ本を話しただけでそこまで他人に言われてしまう。

怖いと思いました。

日本だったらそんなことになっているのだろうか。

他人は他人と違いを受け入れられる、もう少し人が傷つかない世界になってほしいです。

ちょっと優しめのことを書きましたが、そんなことするクズはボコボコにして二度とそんなひどいことしないように懲らしめてやりたい、という思いも浮かんできました。

そんな作品なので、実写映画化になったときは、だれがやるのか非常にもめたそうなのですが、めちゃくちゃきれいな女優さんが強い意志を持って演じられたそうです。

そしてなんと夫のチョン・デヒョン氏は、私が唯一知っている韓国俳優のコン・ユさんでした!!!

これは気になります。。


http://82年生まれklockworx-asia.com/kimjiyoung1982/


ちょっと違いますが、女性なら分かるかも・・・な不穏な感情を味わいたい人におすすめの一冊があります!

辻村深月さんの「鍵のない夢をみる」です。

「鍵のない夢を見る」(辻村深月)ざっくり紹介。読むとすーっと背中が寒くなる短編集。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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