
おはようございます、人類の歴史をさかのぼるの大好き、みかんです。
本日は、大ベストセラーになったこちら、「銃・病原菌・鉄」上巻からお送りします。
下巻はこちら↓
なぜ世界を牛耳るのは白人なのか。中東でも中国人でもないのはなぜ?「銃・病原菌・鉄」下巻より。
なぜ植民地支配をしたのは白人で、黒人ではなかったのか?
歴史を勉強すると必ず通る人類史の謎ではないでしょうか?
世界中に植民地を作っていったスペイン、オランダ、イギリス、フランス、ポルトガルなど。
オーストラリアやアメリカ大陸の先住民を片隅に追いやった白人。
黒人を奴隷として使役していた白人。
なぜなのか。
なぜアフリカの黒人がヨーロッパを植民地にしなかったのか。
なぜアメリカ大陸の先住民たちがヨーロッパに行かなかったのか。
何がその違いを生んだのか。
今は過去として当たり前に受け入れている事実は、どこからそうなったのか。
人類の進む道を大きく変えたもの
それは、「農耕」と「家畜」です。
狩猟採集民だった人類が、いつしか農耕と家畜を始めます。
農耕を始めたことで何が変わるのか。
それは、人間の数です。
圧倒的に効率よく食料生産が出来る農耕は、養える人間の数をけた違いに増やしました。
そして定住するようになり、余剰の農作物で農業に携わらない人間を養えるようになります。
そのような非農業の人間は、集団での生活で必要になった支配者や政治を行う人間になります。
また、家畜を飼うことで農業の生産率を大幅に上げることが出来ます。
牛や馬などに荷物を運ばせたり、畑を耕させたり。
牛糞は良質な肥料にもなります。
家畜を飼ったり農業をするうえで、必要な道具をより精巧で便利なものに変えていきます。
狩猟採集民は、1日の大半を生きるための食料探しに充てます。
効率などはそこまで考えられないので、武器や罠は進化しません。
採るものが無くなれば移動するので定住もせず小規模の集団のままです。
小規模な集団は、支配者が現れにくく、皆で話し合って揉め事を解決する方法を好む傾向にあります。
より多くの人口を抱え、生きるための食料生産だけに従事しない人間が多くいることが、その後の様々な人類文明を変える発明につながっていきます。
ではなぜ農耕を始めた人類と始めなかった人類に分かれたのでしょうか?
なぜ農耕を始めた人類と始めなかった人類に分かれたのか?
二者択一で狩猟採集民から農耕民になったわけではなく、狩猟採集を続けながら、少しずつ栽培や家畜の世話をし始めたということです。
そのうち、急激に人間が増えたり移住する中で地球上のいたるところで大型哺乳類が絶滅し始めます。
人間が狩りすぎたせいです。
大型哺乳類が数を減らし、食料が不足する中で時給自足の生活に移行する農耕民が増え始めます。
農耕民は集団の力が強いので、小規模で狩猟採集をしていた人々から土地を奪ったり殺したり、または農耕民として吸収します。
そうすることで地球上から狩猟採集民が減り、農耕民が大多数となってきます。
農耕民として生き延びることが出来た狩猟採集民は、すでに十分な人口を擁していた集団か、地理的な理由で近隣の食料生産者が簡単に移住してこれず、時間的猶予を与えられた地域の集団でした。
狩猟採集民が近代にいたるまで生き延びることが出来た地域は、地理的、もしくは環境的な理由で食料生産者の移住が困難であったり、食料を生産するための技術の普及が難しかった地域です。
(例)
アリゾナで農耕を営んでいたアメリカ先住民と砂漠で隔絶されていたカリフォルニアの狩猟採集民。
狭い海峡越しにインドネシアやニューギニアの食料生産者から隔てられていたオーストラリアの狩猟採集民。
また、砂漠地帯や北極地帯などの狩猟採集民が少数ながらも現代にいたるまで狩猟採集生活を続けてこれたのは、食料生産に具的な地域に離れて暮らしていたので、食料生産者による入れ替わりを免れたからです。
独自に食料生産が始まった地域
様々な研究から食料生産の起源と思われる、独自に食料生産を始めた場所が5つ分かっています。
- メソポタミアの肥沃三日月地帯(近東、南西アジア)
- 中国(長江、黄河流域)
- 中米(メキシコ中部、南部、中央アメリカ)
- 南米のアンデス地帯
- 合衆国東部
特にメソポタミアの肥沃三日月地帯は、農作物の栽培が紀元前8500年ごろ、家畜の飼育は紀元前8000年ごろにはじまっており、もっとも古い地域です。
中国もほぼ同じくらい古い。
アメリカ合衆国東部は、これらの地域より明らかに6000年ほど遅いことが分かっています。
この差が、その後の運命の差につながるのでしょうか?
なぜ農業と家畜が始まったのは、メソポタミアがはじめだったのでしょうか?
農業と家畜がメソポタミアで最初に始まった理由
ずばり、場所です。
もうこれがすべて。色んな研究結果を出されていましたが、人類が生きていくのにこれほど最適な場所はありませんでした。
端的に言うと、
メソポタミアの肥沃三日月地帯の野生植物が、人間が栽培するのに非常に有用なものだった。
また、そこに生息する野生動物も、人間が飼育するのにかなった性質を持っていた。
これに尽きます。
なんと、現代でも世界中で食べられまくっている小麦、大麦、エンドウやレンズマメは、約1万年前に肥沃三日月地帯で最初に栽培化されています。
この祖先である野生植物を調べてみると、栽培化に有用な特性をすでに持っていました。
自生していながら大量に採集が可能で、種子をまくだけで簡単に発芽、成長も速くて種子をまいてから数か月で収穫。
また簡単に貯蔵でき、自家受粉タイプだったので、有用な突然変異を起こしたものは望ましい遺伝子をそのまま子孫に伝えることが出来ました。
小麦たちめっちゃ優秀やん。。
その辺にある植物をちょっと植えたらめちゃくちゃ食料になるし、その辺にいるヒツジやヤギ、牛や馬たちは暴れん坊でもないので比較的簡単に手懐けられる。
メソポタミアに住んでいた人々は、農耕も家畜も簡単に始められたのです。
そのほかの地域はそうではありませんでした。
アフリカ大陸は野生動物はいても、サイやカバ、象にシマウマなど気性が荒すぎて人間が飼育することは出来ませんでした。
中米の主食であるトウモロコシは、栽培化が難しく何千年もの時間を有しました。
飼育できる野生動物が犬や七面鳥しかいない地域もありました。
(大型の哺乳類がすでに人類によって狩りつくされて絶滅してしまっていた)
1年を通して大量に収穫できる植物が数多く自生しており、人間が使役しやすく比較的温厚な野生動物が数多く生息していたのがメソポタミアの肥沃三日月地帯だったのです。
これは、ずるいと思ってしまいます(笑)
メソポタミアの肥沃三日月地帯は動植物に恵まれすぎていた!
「農耕」と「家畜」の伝播速度の違い
メソポタミアで始まった「農耕」と「家畜」は、その後急速なスピードで地球上に広がります。
しかし、その広がり方は偏りがありました。
食料生産は肥沃三日月地帯から統制の周辺地域に向かって波状的に急速に広がります。
紀元前8000年ごろには西ユーラシアの遠方や北アフリカに、紀元前6500年ごろにギリシア、キプロス、インド亜大陸、紀元前6000年ごろにはエジプト、紀元前5400年ごろには中央ヨーロッパに、紀元前5200年ごろには南スペインに、紀元前3500年ごろには英国にまで到達しています。
なぜ、東西への伝播は速いのか。
それは、ユーラシア大陸が東西の方向に横長だからです。
緯度を同じくするような場所では日照時間や季節の移り変わりのタイミングに大差がありません。
風土病や気温や降雨量の変化、そして分布植物の種類や生態系もよく似たパターンを示す傾向にあります。
実際、ポルトガル、イラン北部、日本は東西に焼く6400キロ離れていますが、ほぼ同緯度なので南北に1600キロ離れた場所同士よりも気候的に似たところが多いです。
植物は、自然淘汰の過程を通じて、生存環境の気候に適した反応を示すように遺伝子がプログラムされています。
そしてその生存環境の気候的要因はどの緯度に位置するかによって決まるものが多いです。
つまり、横への伝播で同じような気候の場所には比較的簡単に植物も動物も適応できたけれど、
緯度が違い気候が大きく異なる地域へは、適応できなかった、もしくは適応するまでに非常に長い年月を要した、ということでした。
(例)
・肥沃三日月地帯起源作物は非常な速さでエジプトに伝わり、気候の涼しいエチオピアの高原地帯まで達しているが、そこより南には広がらなかった。
エチオピアと南アフリカのあいだの約3200キロに及ぶ熱帯地域が越えがたい障壁となった。
・肥沃三日月地帯で家畜化された動物たちもツェツェバエが鞭毛中を媒介することで感染する伝染病の存在が大きく、南下が出来なかった。
牛、馬、羊、ヤギの南下は、ケニアのセレンゲティ平原の北端付近で2000年間も停滞した。
アメリカ大陸とアフリカ大陸が南北に長い陸地であるのに対し、
ユーラシア大陸は東西に長い大陸であることが、人類の歴史の運命を決めたのでした。
タイトルにもある病原菌と人類の関係とは?
2020年からまさに私たちは新型コロナウイルスに直面しています。
SARSやMARSなどもニュースになったなぁくらいには覚えていますが、こんなに「感染症」が身近になったのは新型コロナが初めてでした。
私達にとっては初めての感染症も、人類の長い歴史で見ると何度となく猛威を振るってきたことを知ることが出来ます。
・ユーラシア大陸から運ばれてきた病原菌で命を落としたアメリカ先住民は、ヨーロッパ人の銃や県の犠牲となって戦場で命を失ったものよりはるかに多かった。
・一人の奴隷が1520年にメキシコにもたらした天然痘の大流行のおかげで、スペイン側は勝つことが出来た。
・2000万人いたメキシコの人口は、天然痘の大流行によって、1618年には160万人にまで激減していた。
・アメリカ大陸には約2000万人の先住民が暮らしていたが、コロンブスのアメリカ大陸発見以降
、200年もたたないうちに、先住民の人口は95%も減少した。
これらは、ヨーロッパ人に出会うまで、ユーラシア大陸の病原菌にさらされたことがなかったために免疫を持っていなかったことが大きかったようです。
遺伝的に強い抵抗力も持っていませんでした。
その結果、天然痘、麻疹、インフルエンザ、チフスなどで死亡しました。
なぜ旧大陸から新大陸へ、感染症は一方通行だったのか。
なぜ新大陸からヨーロッパではないのか?
集団感染症を引き起こす病原菌は人口の稠密な大規模集団で誕生します。
コロンブス以前のアメリカ大陸の人口が2000万人だったちう最近の推定が正しければ、同時代のユーラシア大陸より極端に少なかったわけではありません。
アステカ帝国の首都、テノチティトランは当時世界最高の人口密度を誇る都市のひとつでした。
それなのになぜ侵入してきたスペイン人に感染するような特有の病原菌がはびこっていなかったのでしょうか?
これは、人間のかかる感染症の病原菌が何から変化したのかがカギになります。
ユーラシア大陸を起源とする集団感染症の病原菌は、群居性の動物が家畜化されたときに、それらの動物が持っていた病原菌が変化して誕生したものでした。
ユーラシア大陸には群居性の動物が何種類も生息していました。
しかし南北アメリカ大陸には、たった5種類しかいませんでした。
(七面鳥、ラマ・アルパカ、テンジクネズミ、バリケン、犬)
ユーラシア大陸を起源とする病原菌は、世界各地で先住民の人口を大幅に減少させました。
(オーストラリアのアボリジニ、南アフリカのコイサン族など)
病原菌はヨーロッパ人だけに好都合に働いたわけではありませんでした。
マラリア、熱帯東南アジアのコレラ、熱帯アフリカの黄熱病は最もよくしられた熱帯地方における死因です。
そのため熱帯地域にヨーロッパ人が移住するにあたってはもっとも深刻な障害となりました。
植民地支配の確立が南北アメリカ大陸より約400年も遅れたのは、こうした病気がヨーロッパ人進出の妨げとなったのでした。
それにしても、やはりヨーロッパ人が家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌をとんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからこそ、少数のヨーロッパ人が圧倒的な数の先住民を征服することが出来たのでした。
より優れた武器、より進歩した技術、より発達した政治機構を持っていたことも、もちろん大きな差になりますが、「病原菌」の存在こそがヨーロッパ人が先住民にとってかわった大きな要因の一つでした。
小言
この究極の「なんで?」に論理的に答えてもらってすっきり出来る一冊でした。
同じような本にサピエンス全史があります。
こちらの方が読みやすいです。
なぜ白人世界が非白人世界を支配する状況が長らく続いたのか。
この問いに関して、様々な角度から追及したのがこの「銃・病原菌・鉄」です。
後半も楽しみ!わくわくする一冊です。
人類の歴史に興味がある人はぜひ読んでみてください♪
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